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泉州銘菓 「時雨羹(しぐれかん)」(村雨)のお話
あしかさんから紹介のあった
泉州時雨羹(村雨)に関する特別講演会に
昨日5月20日行ってきました。
大工さんのお話は、とてもわかりやすくて、
おもしろくて、聞きやすく、ついつい引きこまれ、
「へぇ~」の連続。とてもためになりました。
たかが時雨羹。されど時雨羹。
とても奥が深いものだということを知り、
これからは、時雨羹をいただくときは、
正座していただくことにします。(笑)
大工さんは、時雨羹については諸説あり、
文献間においても詳細で食い違う部分があるため、
これらをつきあわせ、最も妥当と思われる説を紹介するが、
内容すべてが真実であるという確証はない旨の
前置きをされた上で、次のようにご講演下さいました。
・時雨羹は、江戸時代に泉佐野の豪商 食野(めしの)家の番頭が
創り出したものである。
・これを岸和田城主岡部公に献上し、「時雨(しぐれ)」の名を
いただき、命名書と銘版をいただいた。
・時雨羹の製法自体は難しくないため、泉州一体に同様の菓子を
商う者が増え、「○○しぐれ」等さまざまな名称で販売された。
・明治の世となり、食野家没落後、命名書と銘版は正清(しょうせい)家、
形部(ぎょうぶ)家へと引き継がれ「時雨」の販売がなされた。
・形部家の後、「時雨」の名は竹田家に引き継がれたが、
命名書と銘版は引き継がれなかったため、命名書はその後行方不明に。
銘版はしばらく形部家にあったが、戦時中の燃料不足の折に、
薪代わりにされ消えてしまった。
・竹田家は、戦後、岸和田の五軒屋町に店を構え(竹利商店)、
「時雨餅」として現在も時雨羹を販売している。
なお、「時雨」の名は、竹田家により大正4年に商標登録され、
現在に至っている。
・時雨羹は、通称「村雨」とよく呼ばれ、一般名詞化している感もあるが、
商品名としての「村雨」は、貝塚の塩五により明治42年に
商標登録されている。
・塩五のおこりは、江戸時代に佐野の塩屋五兵衛(しおやごへい)が
貝塚に移り菓子商を始めたことによる。
塩五では時雨羹に「村雨」と名付け販売した。
・明治に入り南海電車が開通すると、塩五は主要駅で村雨の販売を始め、
このときの赤帽の売り声がCM効果となり、子どもたちにも口真似される
うち、「時雨」よりも「村雨」の方が、時雨羹の名称として有名になった。
以上のお話の後、佐野のしぐれについて、いろいろとご紹介いただき、
講演終了となりました。
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